2010年6月27日(日)、初ウルトラマラソン&ウルトラウォーキング旅行2日目



●「第25回サロマ湖100kmウルトラマラソン」スタートまで

起床は午前2時半だった(就床は前日午後20時57分)。
ForeAthlete405のアラームが鳴る30分前には自然に目が覚めていたが、2時半になるまでは目を閉じて時間が来るのを待っていた。
「サロマ湖100kmウルトラマラソン」(100kmの部)のスタート時間が早朝の5時なので、身体を慣らすには丁度いい時間だった。
 (日頃、トレーニングが早朝なので、ForeAthlete405のアラームはトレーニング日に限れば、基本的に午前2時20分〜2時40分に
  鳴るようにセットしている)
起床後、思った通り強い便意を覚え(前夜祭で食べた量も多いし、殆どの日は、起床してすぐにトイレで排泄する)、近くの
公衆トイレで排泄。
結構な量の大便が出たので、これでレース中にトイレに時間を取られる事はないだろうと安心した。
午前2時48分、前夜祭後に近所のセイコーマートで買った「大きな大福」1個とビタミンウォーター、選手受付の時に貰った
アミノバイタルPROを早い朝食とした。
朝食は午前3時21分に終え、その後はレース用ウェアへの着替え、準備体操、ストレッチ、荷造り。
その頃には既に周りの大勢のランナーも起床を済ませ、着替えや荷造り等をしていた。
午前4時20分頃には荷物を預けた。
スタート会場は既に多数のランナーやスタッフ、関係者で満ち、何千人いただろう?
その活気はとても未だ早朝の5時前とは思えない賑やかさだった。
レースのスタートまで、未だ40分近くあったので、小便をしようとトイレに並んだが、前には百人以上も並んでいた。
スタート地点の整列時間間近である午前4時46分過ぎになって、並んでいるのが大便用トイレの方だと気付き(すぐ前に
並んでいたランナーも大便ではなく小便がしたかったようで、大便用トイレの隣のトイレの利用者が少ないのに気付き、
駆け足で確かめたため)、急いで小便用トイレに入って小便を済ませ、整列時間締切の午前4時50分の1分前には何とか
スタート地点に並ぶ事が出来た。
陸連登録しているので陸連登録者のブロックに並んだのだが(右にはサロマンブルーのブロック、後方には一般参加者のブロック)、
流石に陸連登録者には音楽を聴きながら走ろうというファンラン感覚の人がいない(?)ため、自分もそれまで付けていた
ウォークマンを耳から外してランニングパンツのポケットに閉まったのだった。
 (100km、10時間前後も走るなら、途中の退屈防止のためにも音楽を聴きながら走ろうと思ったが、「せっかくサロマまで来たのだから
  沿道の声援をBGM代わりにするのも悪くない」と思い直す事にした)
今回のレースは初のウルトラであり、今まで経験したレースの最長である42.195kmの軽く二倍以上の距離である100kmだが、
それ程の緊張感は無かった。
フルやハーフと違い、序盤から速いペースを心がける必要もなければ、走る時間も9〜10時間と、かなりの時間になるため、
むしろ途中でバテないよう、いつもより意識的にかなり遅めに走ればいいという、ある意味「キツくない楽なレース」という
安心感からだろうか。
それでいて、目標はサブ10(10時間以内の完走)なので、途中のエイドでの食事やトイレを考慮し、10kmを55分で通過する事にした。
1km/5分30秒という、普段の自分にとってはかなり楽なペースだ。
 (ハーフでは1km/4分35秒、フルでは1km/4分40〜50秒というのが最近の平均ペースなので)
10km通過毎に5分貯金出来れば、残りの5分を食事やトイレに割り当てられ、途中でもし大便に時間を取られたとしても
(過去の例からして、1回あたり3〜5分ぐらいか)、レース中に何度も大便する事はないだろうから、それにエイドでの食事も大半は
走りながら口に入れれるだろうし、サブ10は余裕だろうと楽観視していた。
ここ三ヵ月の月間走行距離も400〜500kmはあり、トレーニングの内容から持久力にも自信があるし、脚にも特に故障箇所はなく、
ここ数日の調整で、コンディションも良いため(唯一睡眠不足はあるものの)、中盤以降、脚を痛めさえしなければ、サブ10は
簡単だろうと思った。
最悪でも1kmを6分で走ればよいのだからと。
実際のところ、ウルトラマラソンをする時は、ネガティブに考えない方がいい。
熟練したウルトラランナーでも、実際に途中棄権する事があるのがウルトラの怖いところだと知っているため、極力ポジティブに
考える事にした。
そうやって、スタート時間を迎えるのだが、偉い人の挨拶の内、この一言が余計だった。
「32度」
私「えっ?(^^; 」
前日の遠軽へ向かう国道で見た例の温度表示を思い出す。
嫌な感じがする中、午前5時ジャスト、遂にレースは始まった。
私も遂にウルトラマラソンデピューを果たしたのである。






●最高気温32度、完走率49%の「第25回サロマ湖100kmウルトラマラソン」

1、Start〜10km

 スタートライン通過の際は、上空のカメラに笑顔で手を振った。
 序盤なので余裕なのは当たり前。
 心拍数がMAXの75%程度で済むよう、抑え目に走ったが、それでもラップが5分10〜20秒に上がったり、その度に
 スピードを遅めに修正したりで、かえって自身の目標ペースの維持に気を使った。
 周りのランナーのペースに合わせれば、すぐに5分を切ったりと、序盤なのでみんな元気そのものだ。
 私も沿道の観衆の声援に応えたり、小中学生とハイタッチしたり、景色を楽しんだりと、余裕に満ちていた。
 以後、1時間毎に、走りながらアミノバイタルタブレット1粒・塩飴1個を捕食。
 また、エイドでの給水は欠かさなかった。
 中盤以降の脱水またはシャリバテ防止のためだ。
 口蹄疫の対策として、コース沿いに撒かれている消石灰を何度も見かけ、それはゴール地点まで同じだった。
  (更に言えば、後の「ウルトラウォーキング」で常呂〜遠軽を横断する際も、いたる所で見かけた)

2、10km〜20km

 竜宮台を折り返す何kmも前に、竜宮台を折り返してトップを独走するエリック・ワイナイナ選手をすれ違い様に見た時、
  「流石にはえー!!」と感嘆した。
 大きな大会だけあって、有名選手と同じ大会で走れるのは嬉しい事だ。
 竜宮台の折り返しで、後続の多数のランナーを見た時は、「100kmの部だけで3000人以上出走してるだけあるな」と思った。
 未だ疲れはなく、ペースはむしろ目標の5分半より速く、その分順調に貯金(サブ10を達成するうえでの持ち時間)も増えている。
 心拍数が80%を超えない範囲で、1km/5分10〜20秒ペースで行くのもアリかなと思いつつ走った。
 折り返し後、荷物預けの件でお世話になった地元のOさんにゼッケン番号を呼ばれて「頑張れ!」の声援を受け、笑顔で答えた。
 知り合いの声援はテンションアップに最適だなと、日頃から私を応援してくれる札幌の友人達を思い出すのだった。

3、20km〜30km

 湧別と言うか、道東は広いなと、一面に広がる農場や遠くの山々を見つつ思った。
 体温、心拍数の上昇で多少の疲労は覚えるも、まだまだ景色を楽しみながら走る余裕はあった。
 何しろこの先まだ7〜8時間は走るのだから、スローペースで走らないともたないと、既に10分以上の貯金があるのを確認し、
 1km/5分半へと意識的にペースを落とす事にした。

4、30km〜40km

 長いオホーツク国道に入り、時々ある長い上り坂では、意識的にスローペースにし、上りで疲れないようにした。
 気温がじわじわと上がり、体感的に暑さが気になり始めた。
 途中、ふいに便意を覚えたので、一回目のトイレを済ませた。
 それに要した時間は大したものではないので、十分な貯金の下、ゆとりを持って走り続けた。
 それでも同じペースで走っていて、平均心拍数がMAXの85%を超えるのを見て気になった。
 「これから更に暑くなるのに後6時間、大丈夫か?」と。
 サイクリングのお姉さんに「とてもいいランですよ!」と声援を受け、笑顔で「ありがとう」と応える等、心身の余裕度は
 まだ高かった。
  (普段のトレーニングで普通に走り慣れている距離だから当然だが)

5、40km〜50km

 月見ヶ浜にある42.195km(フル)の通過タイムは3時間50分余。
 フルで言えばベストタイムより30分は遅いので、脚や心肺にはまだまだ余裕があるのだが、暑くてしょうがない。
 心拍数も85〜90%の間で推移し、乳酸の溜まり(疲労の蓄積)を意識し始めていた。
 普段のトレーニングでは42km以上を走っていないだけに、ここからが本番と捉え、特に膝・足を悪くしないよう、
 各エイドで立ち止まり、冷水を膝や足にかけ、この部分が炎症を起こさないように注意した(膝や足への冷水かけは
 終盤まで続けた)。
 上り坂をキツく感じたのもこの辺りからだ。

6、50km〜60km

 完全に暑さと暑さによる疲れの倍増でペースが落ちて来た。
 心拍数の高さが気になり、意識的に1km/6分ペースに落としても、心拍数がなかなかMAXの85%まで下がらず、しょっちゅう
 90%前後を推移した。
 渇水も加速し、それまで走りながら2口だけ飲んでいたアミノバイタルを、以後はエイドの度に止ってカップ1杯丸ごと飲むようになった。
 また、空腹とそれによるシャリバテを恐れたので、レストステーションでは多めに飲み食いした。
  (ちなみにレストでは着替え、履き換えはしなかった)
 だからか、再び急な便意に襲われ、2回目のトイレタイムを取って排便した。
 エイドで冷水バケツを見かけると、必ず立ち止まり、膝や足に加え、頭や首、肩、手や腕にも冷水をかけるようになった(これも
 終盤まで続けた)。
 そうする事で、身体の熱を減らして暑さへの耐性を付け、精神的にもリフレッシュしようという意図があった。
 とにかく、エイドでいちいち立ち止まって以上の行為をするのだから、フルの時点で十分にあった貯金もたちどころに
 目減りして行った。
 その事に焦りが起きたものの、「1km/5分40〜50秒ペースでも維持すればまた貯金は増えるし、サブ10は十分可能」と、
 プラス思考に捉え直す事にした。
 しかし確実に疲労は蓄積し、暑さが精神的キツさに拍車をかけた。

7、60km〜70km

 もう気温も30度を超えてると思う(この日、この地方の最高気温が32度と言うし)。
 とにかく暑くてたまらない。
 加えて、この暑さの中、更に3時間、4時間と走り続けなければならないと思うと、確実に精神が疲弊した。
 肉体的にも、平均心拍数が高いままだし、乳酸の溜まりと共に疲れが増す一方。
 気分転換に1km/6分のスローペースに切り替えても、心拍数がMAXの90%から87、88%程度にしか落ちないのを
 見た時は、愕然とした。
 上り坂でなく、平地だったから。
 68km地点。
 70kmを前にして、遂に気持ちが切れた。
 「こんな暑さの中でやってられるか」と、初めて歩いた。
 去年の4月の初マラソン以後、これまでのマラソンにおいて、エイドで立ち止まって飲食した事はあっても、エイドの外で歩いた事は
 一度も無かった。
 しかし今回、初めてマラソン中に歩いた。
 距離よりも暑さに負けたのだ。
 もし気温がこんなに高くなければ、1km/6〜7分のスローペースで走りはすれ、歩く事だけはなかっただろう。
  (練習不足で35km以降、精神的キツさで心の中で泣きそうになった去年の北海道マラソンですら、歩く事だけはなかった)
 気温の低い早朝にばかりトレーニングを行っていたために、熱馴化出来てなかったのもあるかもしれない。
 しかし、昼間の気温の高い時にばかりトレーニングをして熱馴化したとしても、気温30度を超えているなら、大抵のランナーは
 ベストパフォーマンスに程遠い走りになるだろう。
 私に限らず、この頃になると、周りのランナーが歩く光景を頻繁に見かけるようになった。
 ウルトラ経験の多いランナーでも、この時ばかりは暑さにマイって歩いた人が多いと思われる。

8、70km〜80km

 何度も歩いたり走ったりを繰り返した。
 歩きながら気分転換に加え、心拍数の低下と精神力の回復を促す狙いもあった。
 時間は正午を回り、炎天下の暑さが一番厳しく感じられたのもこの頃だ。
 走っている時は、時たま身体が左右に揺れる感覚がする始末だった。
 喉は乾き、飲む量も増える。
 アミノバイダル、水、ジュース、ゼリー等。
 時にはコップ1杯では済まず、2杯、3杯飲んだエイドもあった。
 そのためお腹がタプタプしたりもした。
 ForeAthlete405のバッテリーが切れた時には、もう貯金も数分しか残っておらず、サブ10はこのまま行けば
 厳しいという意識はあったものの、既に暑さでマイっていたため、「サブ10を達成しなくても、最悪でも時間内完走さえ
 出来ればいい。関門にさえ引っかからなければいいし、ここからはファンランで行こう。飲み食いしながら楽しもう」という
 考えが支配的だった。
 ForeAthlete405が7時間程度でバッテリー切れになる事は、過去に2回トレーニングで経験しているので、405のバッテリー切れ
 以後は、同じく腕に付けていたSUPER RUNNERS(こちらもスタートと同時にボタンを押して走行タイムを計り始めていた)で
 1km毎にラップを取り、現在のペースを把握した。
 後2〜3時間走ればゴールだと分かっていても、なかなか走る気になれず、走っても数百m〜1、2kmで歩いてしまう。
 マラソンで一番キツいと思ったのは、去年の4月からを含めてこの時だと確信する。
 「後30kmだ」、「やっと残りハーフ(21km)を切った。いつもの練習で走る距離より短いぞ」等と残りの距離数を
 踏まえながら、何とかやる気の回復を願った。
 足そのものには未だ余力があるからだ。
 しかし冷水のかけ過ぎが原因か、右足にマメができているのが走っていて分かる。
 足は痛いが、それでも耐えれない程の強い痛みではないので、後20km程度なら十分走り通せると思った。
 その一方で、今走らないのは自分の精神が弱いからであり、サブ10を達成しようという強い気持ちが無いのも心が弱いからだと、
 歩きながら冷静に考える自分がいた。

9、80km〜90km

 初めの方では、未だペース次第ではギリギリサブ10が可能だったので、一時は頑張りもあったが、持続力が無かったので
 すぐに歩き、サブ10は完全に諦めた。
 その最大の原因は、歩きもあるが、他に飲食とトイレによるタイムロスだ。
 80km地点のエイドでは特に飲み食いに時間を費やし、一通りの物は食べた。
 固形物では特に黒砂糖とチョコレートが美味しかった。
 85km地点のエイドではスイカが美味だった。
 こんな風に遠慮なく飲み食いするから、すぐにお腹がくだり、2回もトイレタイムを取って排便する有様だった。
 ワッカ原生花園に続く上り道では、特に歩く回数が多かった。
 上りそのものに嫌気がさしていた。
 ワッカの花々は綺麗だったが、美しい景色を楽しむ心の余裕はとうになかった。
 唯一マシだったのは、気温が多少下がったと感じた事だった。
 歩き過ぎとエイド・トイレによる時間で貯金も使い果たし、サブ10を達成するには、残りの距離を1km/5分ペースで
 走って何とかというところまでロスしていた。
 普段なら何でもないが、今そのペースで残り10数kmを走るのは自殺に等しい。
 この時点で、サブ10は完全に諦め、目標を10時間半以内での完走に下方修正した。
 ワッカを進む時、既に折り返したランナー達の中に、中高年を見た時、特に老人を見た時は、「若いのに情けないな、私は」と、
 暑さに屈し、歩いてしまった自分の非力を恥じた。
 その自分への怒りからか、元気や覇気を取り戻したかのように、最後のトイレを済ませるのと同時に、歩くのを止めた。

10、90km〜100km(Finish)

 「後10km、1時間走ればゴールだ」。
 そう思うと心身共に力が戻って来た感じがした。
 90km地点のエイドを最後に、以後は飲食をしなかった。
  (折り返し後も85km地点・80km地点のエイドで飲食は可能だが、タイムが惜しいので素通りした)
 また、膝・足・頭・首・肩・腕・手への冷水かけも90km地点のエイドで最後にした。
 残り10kmは歩く事も、エイドで止る事も無く、走りに徹した。
 折り返し後の前方から来る後続の多数のランナーを見たり、残りの距離数が縮むに比例して、ペースも上がって行った。
 「後5km、30分で長かったレースも終わる」。
 そう思うと、最後の力を振り絞るかの如く、一気にペースが上がり、前方のランナー達を次々と抜き始めた。
  (ラスト5kmでは、誰にも抜かれていない)
 既に9時間半も動き続けなのに、まだこんな力が残っていたのかというぐらいにスピードが出た。
 1km/5分6秒等、10km〜20kmの時の勢いそのものであった。
 前方からすれ違う大多数の後続ランナー達(完走タイム予測11時間半以降)や、既にヘロヘロで私に抜かれたランナー達と
 比べ、場違いと言うか、私一人だけ100kmマラソンの終盤の割にはやたら速かった。
  (サブ10の力がありながら、飲食やそれに起因する数度のトイレ、水かけや歩き等で、本来よりかなり遅いペースに
   なったからか。
   だけにスタミナが残っていたと言える)
 サブ10は達成出来なかったが、来年に繋げる意味でも、そしてわざわざサロマまで来たのだから、最後は悔いなくハイペースで
 走り完走しようと思い、完走タイムを10時間15分以内とし、85km地点・80km地点のエイドは立ち止まることなく通過し、
 勢いよく走った。
 最後の1kmはとても長く感じられた。
 特に右折したらフィニッシュ地点である数百mの直線は。
 「ラストだし、失速だけはしない。余裕の表情でフィニッシュだ」と、表情を整えつつ、何とかペースを維持し、
 遂にゴール。
 完走タイムは10時間10分を切った。
 100kmの道中、沿道で「がんばれ」と励ましてくれた全ての人への感謝を込め、ゴールしてそのまま四方に一礼した。
 辛さ苦さを味わった私の初ウルトラは、こうして終了した。
 完走タイムからして、もう少し頑張っていればサブ10は十分いけたのにと、完走した瞬間は完走の安堵感と共に、
 サブ10未達成の悔しさが入り混じっていた。
 そして早くも、「来年も絶対にこの大会に出てサブ10を果たす」と、リベンジに燃えるのだった。
  (後日、記録証で確認したところ、90kmから100kmの通過タイムは、30kmから40kmの通過タイムより1秒速く、50kmから90kmまで、
   それぞれ10kmの通過タイムが1時間以上かかっているのと同一人物らしからぬものであった。
   ここでまた、後半に頑張っていれば、また、計画的に走っていれば、余力からして十分にサブ10は達成したのにと
   思うのだった)
 後で知ったが、3221人が出走した100kmの部の完走率は49%と、今年で第25回であるこの大会の完走率としては
 過去二番目の低さだった。
  (50kmの部を含め、過去最多の3656人が出走し、この内、完走したのは1949人)
 つまりこの30度を超す暑さの中で100kmを完走しただけでも立派なのだが、フルでベストタイムを3時間20分は切る自分としては、
 サブ10を達成しなかった事は、情けなさで一杯である。
 今回サブ10を達成出来なかった事を深く反省し、その原因をよくよく心得て、来年の大会で確実にサブ10を果たしたい。



エイドで飲み食いした物

 -飲み物-

 ・水(55km地点以降は、スポーツドリンクだけだと口の中が渇きがちなので、口内に冷たい刺激を与えて頭をシャキっとするうえで
    口にするようになり、カップ1杯(時には2杯)飲み干すようになった)
 ・スポーツドリンク(味の素KKの「アミノバイタル」。
             90km地点までのエイドで見つける度に必ず口にし、55km地点以降は1エイドにつき最低カップ1杯は飲んだ)
 ・ゼリー(味の素KKの「アミノバイタルゼリー スーパースポーツ」。
       エイドで見つけると、必ず1パック(時には2パック)飲み切った。
       当然立ち止まってなので、これを飲み尽くすのに何分も時間を費やした)
 ・お茶
 ・オレンジジュース
 ・りんごジュース
 ・地元特産のドリンク(1回飲んだだけで名称不明だが美味しかった)

 -食べ物-

 ・アメ(キャンディとか、幾つかの種類があった)
 ・あんパン(ある所では率先して食べて、後半でシャリバテにならないようにした)
 ・梅干(90km地点までのエイドで見つける度に必ず1個は食べ口にし、塩分やクエン酸を補給した)
 ・お汁粉(確か80km地点のエイドだったか、一杯だけ食べたがすごく美味しかった)
 ・おにぎり(1、2回食べた)
 ・オレンジ
 ・黒砂糖(後半で何回か食べたが、バテていた時だけに、あの美味しさに救われた気がした)
 ・スイカ(後半で1回しか食べなかったが、とても美味しかった)
 ・チョコレート(見かけたら必ず1個は口にし、前半は走りながら食べた。とても美味しかった)
 ・バナナ(好物だが、今年5月の「洞爺湖マラソン」で食べた後に腹痛を起こした経験から、置いてあるエイドは多かった割に、
       1、2個しか食べなかった)
 ・レモン(ビタミンCやクエン酸の補給のため、後半で見つける度に1切れ食べた)

他には、マラソン中に1時間に1回は、ウエストポーチに入れていた「アミノバイタル タブレット」(味の素KK)を一粒、塩飴を1個、
摂取して体内の塩分やBCAA(分岐鎖アミノ酸:バリン、ロイシン、イソシロシン)が不足しないように努めた。
ただし、6時間以降は、塩飴は食べなくなった(甘過ぎて脳が受け付けなくなったのと、エイドでの梅干等で、特に
食べる必要性を感じなくなったため)。



-その他-

マラソンで100kmも走ったため、asicsのレース用の5本指ソックス(使用は数回)が、両足とも中足筋の辺りに
大きな穴が開いてしまった。
また、中足筋で右足は親指の下、左足も親指の下に大きなマメができ、他にも右足の小指、左足の中指に大き目のマメができ、
これらのマメによる痛みが、その後の「ウルトラウォーキング」の辛さの主因となったのだった。
後は95km地点以降のハイペースやラストスパートが原因か、フィニッシュ後に急に左膝が強く痛み始めたが(触るだけで痛いし、
階段の上り下りの際も痛いし、走るどころか早歩きも難しくなり、寝る時も膝を曲げたりしようすると激痛が走った)、これはその後
二、三日でほぼ治り、帰宅した時には完全に治っていた。



ForeAthlete405とSUPER RUNNERSによる「第25回サロマ湖100kmウルトラマラソン」(100kmの部)の記録

42.195km達成までは順調な走りで、50km以降、次第に失速。
遂には歩いたり、飲食やトイレ等で酷いスローペースとなったが、90km以降に再び走る気力が戻り、最後の5kmは
この100kmマラソンの中で最もハイペースかつ長距離で走り、そのままフィニッシュを果たした




「第25回サロマ湖100kmウルトラマラソン」の完走メダルと記録証




●「第25回サロマ湖100kmウルトラマラソン」完走後

午前5時にスタートし、ゴールした時には既に時間は10時間以上経っていた。
完走後は、完走メダルやバスタオル、食券をスタッフから受け取った。
喉が渇いていたため、アミノバイタルをコップ3杯飲み、呼吸を整えた。
飲んだ後は氷入りの袋をスタッフから受け取り、左膝を重点に両足をまずはアイシング。
 (フィニッシュして立ち止まった直後から、急に左膝に強い痛みを覚えたため)
続いて両脚のマッサージ、ストレッチ等をし、再び両足をアイシング。
スタッフのお姉さん提供の青汁を飲み、一息つけてから、北見市常呂町スポーツセンターに入って荷物を受け取り、仮設シャワーで
身体の汗を流し、着替えを済ませた。
再び外に出た時、既に時計は午後16時38分。
湧別のスタート会場で荷物預けの件でお世話になったOさんと偶然会ったので、篤くお礼を言って別れ、その後は
会場内をぶらっと回りながら撮影に興じ、小腹もすいていた事もあり、「さよならパーティー」が始まる2時間近く前ではあったが、
午後16時48分、食券を使って屋台のほたてカレーを食べた。
ほたてはサロマ湖産だろうか?
100km完走の後だけに、このほたてカレーはとても美味しかった。










カレーで腹を満たした後は、フィニッシュ地点に移り、ランナー達の完走を見物した。
 (その走りを見ながら、「よくもまぁ、12時間も走ってられるな」と感心したり、「今思うと、10時間も動き続けた自分も凄いな」と
  一回も座る事なく完走した自分のマラソンを振り返ったり、しまいには、「10時間と言うと、3時間SPだった頃の『大晦日だよ!
  ドラえもん』を3回放送してもなお時間が余るな」とか、「1月2日の新春ワイド時代劇(10時間放送)より長い時間走ったのか」とか、
  自分の走った時間の長さや、中盤以降の暑さと心身のキツさを思い出し、「サブ10は果たせなかったが、完走出来て良かった。
  最後の数kmは力を出して走れたし、課題は残るも初ウルトラとしては及第点かな」としみじみ思うのだった)
既にスタートから12時間経っているが、このぐらいの時間で完走する人となると、ファンランが多い。
仮装あり、子供と手を繋いでゴールする親あり、背中に旗だの背負う人あり、太った人あり……etc。
 (フルならサブ6(6時間以内)レベルが殆どか?)
とりあえず、制限時間一杯(午後18時)まで見届けた。
最後の完走ランナーは、12時間59分56秒(午後17時59分56秒)と、制限時間の4秒前というギリギリのゴールであった。
制限時間後も、一応何人かはゴールしたが、惜しくも完走タイムとして記録される事はなかった。



















午後18時10分、「さよならパーティー」会場である常呂町スポーツセンターに再び入った。
午後18時30分にパーティー開始とあるが、午後18時15分過ぎには早くも飢えた(?)ランナー達による料理の飲み食い(取り取り)が
始まっていた。
こう言っちゃなんだが、団体で来ている人達の中には、皿単位で食べたいメニューを先取り独占する輩がいるものだから、すこぶる
マナーが悪いと感じた。
と同時に、私のように個人で来ているランナーで、なかなか好きなメニューを取れなかった人も少なくなかったろう。
例えば私は、会場にある料理ではハンバーガーが一番好きだったが、初めに1個、辛うじて取れただけだった。
忽ちのうちに、仲間内で来ている人達が、皿ごと取って自分達の輪の中に持って行ったからである。
 (そのくせ全く手を付けないで食べ残す分があるから、その人達が帰ってから、私は手付かずで残った綺麗なハンバーガーを
  2個程食べる事が出来た。
  食べ切れないのなら、初めから皿ごと持って行くなと言いたくなる)



午後18時24分頃、前夜祭にも出た5人の豪華ゲストがステージに登場。
100kmの部を6時間39分52秒で優勝したワイナイナ選手は、全く疲れを感じさせないスマイル。
超人と言うか、化け物と言うか、私を含む市民ランナーとの次元の違いを感じた。
 (ラップを確認すると、ワイナイナ選手が優勝を決めた頃、私は69km地点辺りで暑さに屈し、歩いたり走ったりを繰り返していた)
私がゴールするまでに、ワイナイナ選手なら、100kmに+42km以上走るだけのスタミナと強靭な脚があるだろう。
ケニア人のマラソン向きの先天的体質(素質)と言おうか、メダリストを輩出するだけあると言うか、ケニア人、恐るべしである。
猫ひろし氏については、芸だのお笑いトークをしない時の真顔からして、素顔は案外真面目な人なんだろうなという印象を持った。
 (サブ3を目指して達成したぐらいだから、基本的に真面目で努力家だと思う)



ゲスト達の挨拶・トークは5分程で終わったので、私は飲食に集中する事にした。
マラソンも終わったし、前夜祭では飲むのを避けたビールを遠慮なく飲み、コップ4〜5杯は飲んだろうか。
食べ物では、メロン・スイカ・パイナップル・チーズ・ザンギを好んだ。
既にテーブルから消えている料理(ハンバーガー等)もあり、料理そのものがほぼ全滅しているテーブルも散見したので、
私はお偉いさん達のいるテーブルに交じって飲食した。
途中、隣に猫ひろし氏や本橋選手が現れてお偉いさんに挨拶し、少し飲食していたが、忙しいのか、数分で立ち去った。
 (この間に何人ものランナーが、記念写真を求めたり、猫ひろし氏に芸を見せてくれと言ったりしていた。
  私はミーハーではないし、特にファンでもないので素知らぬフリをして彼等の隣で黙って飲食していたが、猫ひろし氏に対しては、
  「芸能人は大変だな、人々の呼びかけや要求に対し、いつも愛想よく応えなければならないのだから」と、内心で同情した)


一応、パーティーは午後19時30分までとなっているが、午後19時頃には大半のランナーが帰り始めた。



更に午後19時12分頃にはスタッフによる後かたずけが始まった。
私も既に満腹だったので、飲食は切り上げ、午後19時19分に会場を後にした。




外に出た時には既に殆どのランナーが帰った後で、スタッフが後かたずけをしていた。
閑散としたフィニッシュ会場を見て、ほんの1時間10数分前までマラソンが行われていて、何千人もの人で賑やかだったのになぁと、
少し寂しくもなった。
しかし自分の旅行はむしろここからが本番で、翌日からの「ウルトラウォーキング」のためにも、今夜は近くの適当な所で
野宿しようと思い、その場所を探す事にした。
少なくとも会場内は蚊が多く、テントならともかく、寝袋では厳しいと思った。
 (草の上に腰かけている間にも、蚊がまとわりついて腕や脚を刺すわでマイった)










午後19時53分、百年広場近くのバス停の横に、スーパーハウス式の待合室があるのを見て、ここを野宿先に決定。
バスが翌朝6時42分まで無いのと、周りに人通りが無いのを確認し(田舎なので)、「安心して睡眠出来るな」と、待合室に入った。
車の交通量も少なく、通行人は全くいないから安心。
とりあえず、携帯で自宅に連絡し、家族にマラソンの結果を報告。
 (出発前夜に「サブ10は十分可能」と宣言しただけに少しカッコ悪い気分になったものの、最高気温を伝えると、「完走しただけでも
  大したものだ」と評価された)
旅行から帰る大よその予定日を伝え、携帯を切った。
その後、マラソンで食べ残した携帯食(『アミノバイタルタブレット』)の残りを食べ切り、
ベンチの上で寝袋に入って就床したのは午後21時半ごろ。
しかし、昼間にマラソンのフィニッシュ直後から痛めた左膝が、曲げ伸ばしや寝返りの際に激痛を起こすので、寝る姿勢に
苦労した。
それでもここ数日の睡眠不足や100kmを完走したマラソンによる疲労で、次第に睡魔が強くなり、寝付くまでに時間がかかったものの、
何とか数時間眠る事が出来たのだった……。




-この日の走行距離→100km-



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