2012年6月24日、「サロマ湖100kmウルトラマラソン」(100km)で
ウルトラマラソン初のサブ10を達成
(2012/6/27〜7/1、作成。 2012/7/1、アップロード)



●5月上旬からのポイント練習の帰結と、初サブ3への道

レース前日、6/23(土)の起床時間は早朝の5時27分。
 (日の出3時56分、日の入19時18分)
8時間眠れたわけではないが、丸8時間、床に就いて目を閉じ、身を休めていた。
6/17(日)から調整期に入っており、特にレースの三日前からは仮眠・昼寝も増やし、一日に八時間以上は床に就くようにしていた。
雨で調整期はポイント練習を殆ど出来なかったのもあるが、ランニングをしない日も昼食・夜食の最中に膝・脛等をアイシングしたり、
カーボ・ローディングとして食事量を増やしたのもあって、6/23(土)の起床後は筋肉痛やだる気は無く、脚も軽く、翌日のレースもネットでの最新の
天気予報(5時発表)では最低気温8度、最高気温12度で曇りとあるから、初サブ10達成への自信が強まり、気分も前向きだった。
外は小雨〜雨と、雨が続き、地元は13〜14度ぐらいの気温だったが、出発時には雨は止んでいた。
おかげで、マラソン会場への移動中に履いていたGAL-SAROMA 2(翌日のレースでも履くシューズ)が濡れたり汚れないで済んだ。
 (今回は荷物が多いので、予備のシューズは持たないで出発する事にした)
朝食は水1杯、ビヒダス150gのみで軽く済ませ、シャワー、荷造り、着替えを終えた後の8時40分過ぎに自宅を出発。
 (この時の所持金は3万3533円。
  野宿前提なので、100kmマラソン後は、移動はウォーキング・ランニングをしつつ10日間ぐらいは旅行が出来るが、今回は8月に発売予定の
  同人作品の制作の為、マラソン後は道東旅行はせず、家族へのお土産を購入して真っすぐ、バスで札幌に戻る事を自宅出発前から
  決めていた)
自宅から駅までの2.5km近くはウォーキングをし(これがレース前の最後の運動である)、地下鉄で札幌駅に到着。
遠軽行きのバスを待っている間は、そろそろ発売から丸三年に近いドラクエ9をプレイしていた。
毎年そうだが、「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に参加するランナー達をこのバス待ちの時から見かける。
 (ランニングウェアに大き目のバックパック等の人が何人もいるので。
  遠軽行きのバスに乗る時点でまず例外なくサロマ参加組だ)
10時09分頃、遠軽行きのバスに乗車し、バスは10時15分に発車。
 (旅行中、バスの乗車中はForeAthlete405でその走行距離等を計測する事にしている)
座席は窓側ではないのでロクに車窓からの撮影も出来ず、仕方ないので遠軽到着まで、MP3ウォークマンでアニソンやゲーム音楽等を
シャッフル再生しつつ、持参したマラソン本(フリースペース『42.195km トレーニング編』)を読みつつ、時間を過ごした。
バス内ではカーボ・ローディングとして惣菜パン1品(ヤマザキの「とっておき宣言 メンチカツロール」)、菓子パン1品(ヤマザキの「とっておき宣言
大きないちごジャム&マーガリン」)、「みたらし団子3本入」と多めに食べ、500mlの炭酸飲料(KIRIN 「グレープフルーツ」)を飲んだ。
 (翌日に100kmも走るのだから、スタミナが付きそうな肉も食べたいと思い、惣菜パンの中からは手ごろなメンチカツを選んだ)

午後14時07分、バスは遠軽(北見バス遠軽営業所前)に着き、バスから下車。
営業所内の待合室の椅子に座ってForeAthlete405を充電しつつ湧別行きのバスを待ち、湧別行きのバスに乗車し、バスは15時00分に発車。
初めは曇りだったのに、途中からいきなり雨景色となり、「翌日のレースは大丈夫だろうか?」と不安になった。
バスから、ウルトラマラソン初参加となる一昨年の「第25回サロマ湖100kmウルトラマラソン」後、ウォーキング&ランニングをしながら行った
幾つかの建物を目にした時、二年前の思い出が脳裏を過り、懐かしくなった。
 (湧別町文化センターTOM(中の漫画美術館には感嘆した)、湧別町鉄道資料館、チューリップ公園等)

15時35分、湧別町総合支所で降りた。
小雨ではあるが、濡れた路面を見て、やはり気が滅入った。
 (「翌日の100kmマラソンも小雨程度で済めばいいのだが……」と。
  もし小雨ではなく、雨〜大雨で全身ずぶ濡れで寒く体の冷える中、10時間前後も走るとしたら最悪である。
  初サブ10達成どころか、体調不良を起こして途中棄権すらありえる)
歩いて数分でスタート会場の湧別総合体育館に到着。
まず野宿(雨が降っても濡れずに済み、シュラフ(寝袋)等を敷ける場所)する場所をチェックし、陣地を確保した。
スタート会場周辺はテント組や駐車場での車中泊のランナーが多いが、この辺りは宿泊施設が少ないのに加え、100kmマラソンは
早朝5時とスタート時間が早いので、会場周辺で簡単に一泊出来るテントや車中泊、寝袋等が一番手っ取り早く、おまけにタダだ。
 (「大会オフィシャルツアー」は2泊3日で札幌発だと61000〜77000円、現地集合でも26500〜33500円。
  3泊4日で札幌発だと69000〜92000円、現地集合だと34500円〜45500円。
  私は今回の旅行中の2泊は共に野宿だったので、旅行中の交通費と食費だけなら14000円もかからなかった。
  シュラフでも保温対策等しっかり行っていれば普通に眠れ、レースでのタイムに悪影響は与えないので(実際に初サブ10を今回達成したし)、
  ツアーに参加する費用があるなら、野宿しつつウォーキングやランニングで道東旅行をした方がマシである)
ゼッケン引き換え後、「ゴールメッセージ記入用紙」には、一昨年・去年の失敗レースを思い出しつつ、サブ10達成時と未達成での完走と、
2パターンを書いた。
 (数時間かけて、数千人のランナーのゼッケンと氏名、ゴールメッセージを読み上げる女性アナウンサー(ウグイス嬢?)は大変だと
  思い、その人への感謝の文章も一筆添えた)
折角なので、前夜祭に向かう前にスタッフの人に記念写真を撮ってもらった。



16時07分、開会式・前夜祭の会場に入った。
毎回そうだが、多数のランナーで混み、既に開会式は始っていた。
お偉方の挨拶の後、16時25分頃から前夜祭の料理を飲み食いし始めたが、飲み過ぎ食べ過ぎで翌日のレースに支障を来さないよう、飲食は
12分間程度で終えた。
 (メニューは一通り食べたが、内容は覚えている物をあげると、ビール1杯、ミートスパゲティー少々、鶏肉2切れ、イカのリング1個、トウガラシ(?)
  1切れ、ネギ1切れ、アスパラ3切れ、じゃがいも1切れ、ちらし寿司(イクラ・のり・小まめに刻んだ玉子焼き等)、焼き鳥1本、たこ焼き1個等)
早々と終えた飲食後、新たにサロマンブルーに加わった人々のお披露目(その中には2008年大会の100km・陸連部門の優勝者である能城秀雄さんも
含まれる)や催し物(今年は地元の女性達のダンスだった。催し物の規模は去年や一昨年より縮小した印象だった)を見物し、17時30分どころか、
17時10分前には閉会の挨拶が行われ、程なく会場から出た。
出入口近くで出されている「蟹鉄砲汁」を飲もうとしたら、既に具は品切れなので、仕方なく汁だけをもらって飲んだ。
 (同じく、一昨年や去年に食べた焼きそばを貰おうとしたら、これも既に品切れだった。
  鉄砲汁も焼きそばも、ステージ前にもある程度の在庫を揃え、ステージ近くで飲食する人達も食べれるようにしてほしかった)










陣地に戻った後、翌朝のレースの準備をし、カーボ・ローディングとして夜食(「アミノバイタルボディリフレッシュ 500ml」、「日糧 ミニ大福豆 つぶあん入り
5個入」)を口にした後、19時28分に就床。
 (シュラフの保温性を考え、シュラフに入る前に、項・背中・腰・尻・腹に、シャツごしにカイロを合計5個貼った。
  おかげでシュラフの外は風も吹いて冷えていたが、シュラフの中は暖かく、眠るのに時間はかからなかった)
時折、近くのテント組の話し声がうるさく、ニ、三回、眠っては目覚めたが、22時頃にはすっかり静かになったようだ。
 (翌日のレースで自己ベストタイム更新を真面目に考える人なら、早々と床に就くだろう)


6/24(日)、レース当日の起床時間はまだ深夜の午前2時だった。
 (食事時間も必要だし、ペースの遅いウルトラマラソンでも、スタート時間の3時間前には起き、1時間前までには食事を済ませたいところだ)
目覚めて程なく食事を始め、カーボ・ローディングの仕上げとした。
 (「アミノバイタルボディリフレッシュ 500ml」の半分程と、「日糧 ミニ大福草 つぶあん入り5個入」。
  レース当日は大体、縁起担ぎも込め、「ミニ大福」の「草」を食べてからレースの臨む事にしている)
3時頃から周囲もざわつき始め、テント組も食事や着替えをしているのが分かった。
3時25分前には食事を終えた。
予想通り、小雨が降る嫌な天候の中、レースウェアへの着替え、荷造りを済ませ、ウォーミングアップの体操・ストレッチの後、荷物をスタッフに預けた。
多数のランナーがトイレ前に並んでいるので、排便は出来ず、レース中、それなりに貯金(タイム)を稼いでから、空いているトイレを
走りながら目視出来たら、真っ先にトイレに寄って排便する事にした。
4時40分頃にスタートブロックに並んだ。
 (km/6分以降のランナー達に巻き込まれてロスタイムが増えないよう、最前列から10mぐらい後方まで、ランナー達をかき分けながら進んだ。
  大勢がこの時点ではまだトイレ前に並んでいたり、荷物を預ける途中だったろうが、最終的には3千名以上のランナーの長蛇の列になるから、
  スタートの20分前からまだ並びやすい内に、最前列近くまで行ったのだった)
エリック・ワイナイナ選手の陽気な挨拶を聞いた後、若干寒い中、5時に100kmマラソンがスタートした。
 (100kmの部・50kmの部、総勢3592名のランナーが走り、100kmの部では3165名が走った)
気温は9.8度で小雨は続いているので寒かった。
 (雨を想定し、レースウェアは、上はランニングロングスリーブシャツの上にランニングTシャツを着重ね。
  下は下着の上に七分丈のランニングハーフパンフ。
  ソックスは一昨年・去年のレースのように途中で破れないよう、丈夫な「RUN PERFORMANCE」。
  シューズは「GAL-SAROMA 2」。
  更にランニングキャップ、耐水用ランニンググローブを着用し、頭や手の冷えを防いだ。
  愛用のサングラス「JAWBONE」はキャップのひさしの上に固定し、晴れて日差しが強まるまでは目にかけないようにした。
  他に、腰には「味の素 アミノバイタルプロ(サプリメント)アミノ酸3600mg スティック14本入り」、ポケットティッシュ、小銭を入れたランニング用
  ウエストポーチを装着した)
この雨が酷くなって初サブ10の障害にならないか、それだけを心配をしつつ、10時間近い長勝負が始まったのである。


レースでは1kmあたり、5分30〜40秒のイーブンペースを心掛け、10km辺り、3分20秒〜5分の貯金(タイム)が増えるように意識して走った。
 (去年のサロマ100kmでは練習不足のうえ、5分20秒ペースで30数kmにして失速し始め、40km前後でバテ、42km辺りから両脚の故障で歩き始めた
  苦い体験が脳裏を過った)
貯金を溜める為、バナナやパン等、食べ切るのに時間がかかる物は走りながら数分かけて食べた。
 (加えて、55km地点のレストステーションでの着替えと飲食、その他、各エイドでの給水・給食も踏まえ、55km地点までに15分以上の貯金を
  得ているようにしないと、後半、特に80km地点以降のワッカ原生花園での失速を考えると、初サブ10達成は難しくなると考えた)
私にとって今のところ、フルマラソンはともかく、100kmマラソンに挑戦するのは、年にこのサロマの一回のみだ。
その為、今回のレース程、慎重に走り続けたマラソンは、他に無い。
貯金にある程度の余裕が出来たのと、強まる便意でこれ以上の我慢がキツくなる中、20km地点の竜宮台折り返し後に暫く走った後、右側のトイレを
振り返った時、空きトイレを目にしたので、真っ先にトイレに入り、すかさず排便した。
 (前日に食べた量が多い分、大便も多かった)
 (竜宮台を折り返す数km前で、早々と折り返して前方から後方にすれちがったエリック・ワイナイナ選手らを見つつ、「ウルトラのサブ7ランナーは
  超人そのものだな。ワイナイナ選手は去年に連覇を逃したから、今年は1位を奪還出来るといいな」等と思った。
  30km地点までには10分以上の貯金が出来るから、トイレタイムが並びと排便で少し長くなってもいいようにした)
30km地点前の出来事だ。
おかげで心身すっかりリフレッシュし、ここから暫くの間、快適に走る事が出来た。
既に雨も止んでおり、体温も上がっているので丁度いい涼しさだった。
応援している沿道の人達にスマイルでありがとうと応える事を欠かさなかった。
ボランティアの学生達とは何度もハイタッチをした。
余裕度のあるペースで走り続けている為、42km地点通過時点で、疲労はまだそれ程溜まってはいなかった。
去年の同大会ではこの辺りから歩き始め、両脚の痛みの中、関門を気にしながらこの先58kmも延々と歩いたりスローで走ったりを繰り返していたなと
振り返り、「今大会ではバテても絶対に歩きだけはしないぞ」と気を強くした。
 (歩く時点で貯金が急速に目減りし、初サブ10達成が難しくなる。
  故障や体調不良が無い限り、急な上り坂、大雨や猛暑、強い向かい風があろうと、徒歩だけはしないとレース前から決めていた)
気分転換に、「今はプリキュアの放送時間中だな。帰ってから菓子でも食べつつ録画を観るか」とか、「次の同人は○○にしよう」とか、「早く
ドラクエ10をプレイしたいな」とか、適当な事を色々と思考しつつ走った。
先はまだまだ長いので、疲労の蓄積を抑えるよう、マイペースで走り続け、1kmごとにある距離表示を見る度に、1km1kmを確実に潰す(消化する)
イメージをしながら走り続けた。
特に上り坂・下り坂では注意して走った。
上りでは腰高のフォームを保ちつつも視線は足元に落とし、下りになるまでは前方を見ないようにした。
 (遠くまで上りが続いているのを見るのは、100km、10時間前後の長期戦だけに気が滅入る)
キツい上り坂では1km/6分10秒台までペースを落とし、脚と心肺の疲れが増えないように気をつけた。
逆に下り坂でも急速なペースアップで脚の疲労を溜めないようにし、1km/5:30〜5:40のペースを心掛けた。
それでも普段走る距離の5倍、100kmを走るのだから、中間点の50km地点を通過した時には、スローペースとはいえ、確実に疲労は
溜まって来ていた。
 (なので30km地点以降から携帯しているアミノバイタルプロをエイドで口にしてアミノ酸を補充し、特に55km地点のレストステーション以降は、
  10kmごとに1袋は口にするようにした)
逆に精神的には「折り返した。後50kmもない」と、気力が増した。
ここからは距離表示を見る度に、「後○km」と、思考し、プラス思考になれた。
曇り空から少し晴れても来たので、左側に見えるサロマ湖を暫くぼぉ〜っと見ながら走るゆとりもあった。
55km地点のレストステーションに到着した時には素早く着替え、軽装になった。
 (上は予備のランニングTシャツ1枚のみ着て、ランニンググローブは外した)
 (レストステーションに着いた時、「今頃、ワイナイナ選手は完走した後なんだろうな」と思った。
  帰宅後にネットで知ったところ、ワイナイナ選手は50km地点で棄権したとの事だった)
飲食にも最小限の時間しかかけなかった。
また、55kmのレストステーション以降は、エイドでの食事でのロスタイムを減らす為、おにぎり・梅干し・チョコレート・黒砂糖等を同時に口にし、
大して味わう事もなく、ジュースやスポーツドリンクで一気に喉の奥に流し込んだ。
58km地点を通過した時、「よし、後、フルマラソン1回分の距離だ」と気力を奮い、66km地点通過後は、「3分の2を消化した。後は普段の
ロング走1回分だ」と、とにかく節目の距離表示を見る度に前向きに考えた。
60km地点以降は、エイドで立ち止まって飲食する時間を含め、既に1km/6分台まで失速する程、心肺よりも脚の疲労が蓄積し、脚が
重くなっていたが、1km/6分〜6分10秒程度なら、貯金はそう簡単に使い果たさない程溜まってはいるので、「スローペースならある程度
走れば脚は回復する。90km地点以降は下りも長いから貯金はまた増えるし、初サブ10は十分可能だ」と、前向きに考え、暫くは1km/6分前後の
ペースで走り続ける事にした。
去年も酷暑レースだった一昨年もこの辺では歩いてたなと振り返りつつ70km地点を通過。
この頃から、何回か右足の中足筋が痛む場面が有ったが、「ペースダウンする程の激痛ではない。キツいのはみんな同じだ」と、意に介さず
ペースを保った。
42km地点以降から前方を歩いたり立ち止まったりするランナーを目にする機会が増えたが、70km地点以降は特に見かけるようになった。
 (3月以降、これまで数回、超ロング走をしておいて良かった。
  これによってウルトラマラソン向けの基礎持久力、スピード持久力が出来上がり、距離に対する不安も無くなったからだ)
私より速いペースで若い女性や中高年の男女のランナーが私を抜いて前方に遠ざかって行くのを見る度(大体、km/5:20〜5:40ぐらいか)、
「あの人達の走力と月間走行距離はどのぐらいなのだろうか? フル以下なら絶対に負けないだろうに」と思ったりもした。
 (100kmの部は70km地点から50kmの部のランナー達と合流し、同じコースを走るので、70km地点辺りで、まだ20km程度しか走っていない
  イキのいい50kmの部のランナー達が既に疲労が強く抑え目に走らざるを得ない私を抜いて行ったのなら、それは当たり前と言える。
  70km地点以降は、疲労で、50kmの部のランナー達に抜かれたと思考する事さえ出来なかった。
  レース前半のように妄想する事も殆どなく、ほぼ無心で走っているか、または、「絶対にサブ10を達成する」と念じるかのどちらかが
  頭の中の大半だった)
50km地点通過後は、「ワッカまで後○km、○時間。ワッカでの最終決戦までは脚力を温存しなければ」と、大勢に抜かれても別にネガティブな気分には
ならなかった。
最終的にギリギリのタイムでも、初サブ10さえ達成出来れば良かったのだから。
ワッカを前に、私設エイドで毎回楽しみにしているお汁粉を美味しく食べたが、今回はエイドでのロスタイムが惜しいので、去年のように2杯は
食べず1杯にとどめた。
この頃からは、給食しても数km走ればすぐに空腹が強まるので、ガス欠になって失速しないよう、各エイドでは飲み物以外にも、何らかを
口にし、素早く飲み物で胃の奥に流し込んだ。
それでもエイドで立ち止まって飲食物を口にする分、既に1km/6分台までペースダウンしているので、貯金が少しずつ減る。
それを意識しつつ、粘るように走り続け、「折れない心、負けない気持ち」を何度も脳内で反芻し、「絶対に初サブ10を達成するんだ」との信念を
強くした。
そして80km地点近くにある大エイドである程度まとめ食いして二度目のトイレ(空きトイレを目にし飛び込み、並び時間によるロスが無くて
助かった)で排尿を済ませ、80km地点を通過した時、通過タイムを見て、残りの貯金が十数分有るのを見て、初サブ10を確信し(脚の故障、又は
体調の酷い悪化が無い限り)、一気に気が楽になった。
「もうハーフ以下だ。20kmも無い。普段走る距離程度だ」、そう思うと俄然、思考は前向きになる。
それがプラスに働き、上り坂を除くと、ペースが自然と上がった。
81.64kmで、ForeAthlete405のバッテリーが切れたが、以後は腕に見に付けていたもう一つのランニングウォッチ(SEIKOの「プロスペックス SUPER
RUNNERS」)でラップを取るも、完走まで、時計表示は見ず、体感ペースで1km/5:40ぐらいを意識して走った。
「後15km、90分もない」、「もうたったの10kmすら切った、ゆっくり走っても1時間もかからない」と、給水・給食にかける時間が減った86km地点以降は、
ペースアップも有って、再び貯金が増え始めた。
したがって、90km地点通過時は、貯金の余裕から、もう1km/7分台で走ろうが、途中で数分歩こうが、確実に初サブ10は達成出来ると分かり、
いよいよ気分は高揚した。
 (その安堵感だろうか、前方を歩いているランナーもますます多くなった)
今や私の目標は、「9時間59分59秒以内に確実に完走する」事から、「9時間40分を切れるか?……切りたい」に変わっていた。
その為、90km地点以降、1km/5分50秒台から、エイドでの給水・給食を除けば、10秒単位で平均ペースが上がっている。
ワッカを折り返した時は完全に晴れ、気温も上がり暑くなってきたが、今更そのぐらいで気力が低下する事は無かった。
95km地点通過時、「もう5kmも無い。たったの30分以内だ」と、レース前半に近いペースで走れるまでに気力が増し、98km地点近くの最後の
エイドでは、「時間が無い。もうガス欠の心配もいらない距離だ」と、数秒立ち止まって給水を少ししただけで通過。
ここから残り2kmは1km/5分20秒ぐらいまでペースアップし、何人ものランナーを抜き、後方から自分が抜かれる事はなかった。
フィニッシュ地点近くに達し、沿道の声援が大きくなるにつれ、既にペースアップでありがとうと応える余裕は無かった。
最後の数百mでラストスパートをかけ、「去年の大会では両脚を故障し、12時間20分近くもかかって悔しくて、心の中で泣きながらゴールしたな」と
振り返りながら、9時間40分を切ってあるフィニッシュ地点の時計を見つつ、「やったぞ!初サブ10達成!!しかも9時間40分切り、9時間半台での
フィニッシュだ!!!!」と、心の中でガッツポーズしつつ、これまで30回以上走ったマラソン大会で、最高の喜び、感動に包まれて、無事、
完走したのだった。
 (一昨年・去年と違い、エイドとトイレは別にして、一度も止まらず、歩かなかった分、強い達成感、充足感に満たされた)
完走タイムは9時間36分台だから、初サブ10のタイムとしては上出来である。
それも、目標を9時間40分切りに上方修正したうえで、3分以上も早くフィニッシュ出来たのだから。
完走直後、振り返って一礼した。
その時、女性アナウンサーが私が前日に書いたゴールメッセージを読み上げた時、私は微笑み、心の中でありがとうと応えた。
100kmマラソン中にマラソンで消費したカロリーは軽く5000kcalを超えた。
 (レース中に飲食したのは、持参した「味の素 アミノバイタルプロ(サプリメント)アミノ酸3600mg スティック14本入り」の5袋以外は、エイドの
  バナナ、レモン、アメ、梅干し、チョコレート(チロルチョコサイズを2個)、オレンジ、黒砂糖、アンパン、スイカ(2切れ)、おにぎり、お汁粉(1杯)、水、
  アップルジュース、オレンジジュース、スポーツドリンク、ゼリー(2品)等)
女子学生のボランティアに完走メダルを首にかけられ、完走記念バスタオルを肩にかけられた時も笑顔でお礼を言った。
完走直後は余り空腹を感じなかったが、早い回復を促す為、まずはスポーツドリンク2杯を飲み、アミノバイタルプロを1袋摂取。
アイシング用の氷袋2つを男子学生のボランティアから受け取り、地面に座ってからは、両膝をアイシングし、15分ぐらい立ち上がらなかった。
体中クタクタの疲労困憊で、マラソンでここまでエネルギーを使い切ったのは今回が初めてだった。
 (すぐにクーリングダウンのマッサージ・体操・ストレッチをしないぐらい、疲れ切り、それだけ、ラストスパートで自分を追い込んだという事だ)
座っている間に、初サブ10を達成した瞬間を思い、初サブ10達成の余韻に浸り、何度も涙が溢れそうになった。
 (すぐに目頭がジ〜ンと熱くなった。
  マラソン完走直後に嬉しさ、感動で目が潤んだのは今回が初めてだ)
座っている15分ぐらいの間に、「結構長いものだな。ようやく10時間か。完走タイムが9時間36分台だから、貯金の23分余の間に、5km以上走れる
時間だな」と、マラソン中の貯金がいかに重要かを再認識した。
遅いランナーが走っている間、速いランナーは、立ち止まったり歩いたりする時間の余裕もあるし、完走していれば、遅いランナーが走っている間、
クーリングダウンやシャワーに着替え、食事や見物、休息等も出来るのだ。
 (去年の12時間20分近いフィニッシュタイムが脳裏を過り、2時間半以上あれば、かなり色々な事が出来るなと思った)
午後15時を回り、ようやく動く気になり、立ち上がって脚のマッサージ、体操、ストレッチを行ったが、両脚の強い筋肉痛に気付き、膝の屈伸運動等が
筋肉痛で全く出来なかった。
 (マラソン後のクーリングダウンで、膝の屈伸運動が全く出来なかったのは、今回が初めてだった)
 (足を引きずるように歩かなかっただけマシである。
  千歳JAL国際等のフルマラソンでは、遅いランナー程、完走後に足を引きずって歩く光景を目撃している)
また、歩く時も両太股・両脹脛の強い筋肉痛、両足の痛み等で、転倒しないよう注意する程だった。
スローで歩くのがやっとという程、レースでのダメージが大きく、本命レースを終えた後の一流選手達が、数週間〜1ヵ月単位でJOG以外は
走らず休息するのが解る気がした。
完走後に暫くジっとしている間に全身が冷えたので、選手用の無料飲食物提供エリアでお茶、黒砂糖、菓子等を一品ずつ食べ、
荷物を受け取った後は、近くのおばさんに頼んで記念写真を摂ってもらい、シャワー室でシャワーを浴びながら全身の乾いた汗を流し、
強い疲労感の中、ノロノロと着替えた。
その後、表彰式を見たり、現像の済んだ選手のフィニッシュシーンの写真に自分のは含まれていないかチェックした後、空腹も強まったので、
飲食ブースへと向かった。
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選手用の無料食券を使い、16時40分、「郷土料理 炉ばたのほたてカレー」を食べ始めた。
 (一昨年だったか去年だったか、フィニッシュ後にこのほたてカレーを食べ、とても美味しかったので今回もこれを選んだ。
  ただし今回はそれより「えぞ鹿カレー」が食べたかったが、既に品切れだったので、過去にも食べたこれにしたのだった)
初サブ10達成、9時間40分切りの余韻に浸りつつ、最高のフィニッシュの後の昼食だけに、とても美味だった。
この食事のおかげで、体の冷えも大分治まり、気力も大分回復した。
カレーを食べた後は、アイスや饅頭等の適当な間食も考えたが、「さよならパーティー」も時間が近いし、空腹で料理を楽しむ為、間食はしない事にした。
再び、写真の展示ブースに寄り、新たに現像・展示された写真をチェックしたが、自分の完走写真は無かった。
まだパーティー開始まで1時間以上あるので、暫くはフィニッシュ地点近くで、座りながら、未だ走り続けるランナー達のフィニッシュを見物した。
 (座っている間、レースでバッテリー切れとなっていたForeAthlete405を充電した)
12時間台のランナーともなると、仮装ランナーもいたり、花束を持ったり、家族等と手を繋いでフィニッシュする人もいて、色々なフィニッシュが
見れて面白い。
中には、フィニッシュ地点の前で止まり、横の役員に携帯を渡し、記念撮影してもらってからフィニッシュするランナーもいた。
12時間台のランナーは集団でフィニッシュする場合が多いので、女性アナウンサーは、「ゼッケンナンパー・氏名・ゴールメッセージ」全てを読まず、
「ゼッケンナンパー・名字」だけで省略するのが殆どとなった。
 (同じ人が何時間も読み上げているのなら、疲れで面倒にもなるだろう)
17時52分にフィニッシュ地点を離れ、もう一度、写真の展示ブースに寄り、新たに現像・展示された写真をチェックするも、自分の完走写真は無いので、
注文の手続きをした。
歩くのが余りに遅い為、「まるで老人だな」と苦笑いした。




18時前に「さよならパーティー」の会場前で整列。
まだ開会時間の20分余り前なので並ぶ人が少なく、去年と違い、最前列近くに並ぶ事が出来た。
 (会場前で一回、右足が躓いて床にこけた時に右膝を打った。
  普段なら転倒しないが、疲労と筋肉痛がそれだけ強かったと言う事だ)
 (去年は無料食券で食事終了した時に既に18時を回っており、かなり後方で並んだ為、会場に入った時には、一昨年の大会で気に入った
  ハンバーガーは真っ先に集団グループ等に独占された為、食べる機会がなかった。
  それがとても悔しく、フィニッシュタイムが遅い故に味わった悲劇として、今年は去年の二の舞にはならないと固く心に誓っていた)
並んでいる途中、招待選手のワイナイナさんが現れ、先に会場に入り、スタッフと打ち合わせをしているのが見えた。
 (どこに行ってもワイナイナさんは人気者で、快く記念撮影やサイン等に応じていた)
18時20分になり、スタッフの許可により、並んでいるランナー達は雪崩の如く、一斉に足早に会場内に入り、素早く好きな料理を確保した。
私も料理等の撮影を手短に済ませ、先ずは「さよならパーティー」の最人気料理と思われるハンバーガーを2個ゲット。
更に、大会運営者のブロックにあるハンバーガーを見て、偉い方に「去年は12時間20分近い完走だった為、並ぶのも遅く、一昨年に食べて以来
気に入ったここのハンバーガーを1個も食べれなかったのですが・・・」と言いつつ、「できれば2個程貰いたいのですが」とお願いしたところ、
その人は快く応じ、「もう1個持って行きなさい」と、3個も貰えたのだった。
ハンバーガーを計5個ゲットし、手が塞がったので一旦、荷物を床に下ろし、後は、魚介類の入ったサラダ1皿、串カツ1本、イカの天ぷら1個、
酢豚1皿、鶏の唐揚げ3個入り1皿、フライドチキン1個、ビール2杯を取り、パーティーの時間内に食べる物を一通り揃えてから、美味しく頂いた。
途中、偉い方の挨拶に始まり、ワイナイナさんや、同じく特別ゲストで、歌手で自らもウルトラランナーである高石ともやさんのトークが続いた。
勝利の美酒とも言える地元のサッポロビールを飲みつつ、念願のハンバーガーに舌包みを打ちつつ、「去年は完走が遅かったせいでシャワーや
食事に時間を取られ、パーティーではかなり後ろで並ぶはめになったばかりに、ハンバーガーを口にする事が出来なかった。今回はこれを食べる
為にも頑張ったようなものだ」と、失敗レースに終わった去年と成功レースとなった今回もそれぞれ思い出しつつ、未だ深い勝利の感動の余韻を
楽しんだ。
パーティー中、ワイナイナさんは大勢のランナーの記念撮影・サイン・握手等のお願いに笑顔で応じていたので、私も食事の途中、ワイナイナさんに
記念撮影・サイン・握手をお願いし、ワイナイナさんは快く応じてくれた。
終わりに、「気を付けて帰って下さい。来年も頑張って。また来年、サロマで会いましょう」とワイナイナさんがスマイルで言ってくれた時、最高の
気分だった。
元々、気さくなワイナイナさんが好きだったが、ますますファンになったのだった。
 (握手した時はその手の大きさに力強さを感じたし、その細い長身の体型には、「一流選手として実績を積み重ねてきた人は体型からして
  違うな」と大いに感心した)
パーティーは19時20分に閉会し、スタッフが後かたずけを始めたので、私は若い女性スタッフに、「親はカニが好物なので、家族へのお土産に
このカニを持って帰りたいのですが」と言ったところ、女性は快く、「どうぞどうぞ。捨てる物ですし、好きなだけ持ち帰って下さい」と許可してくれた。
更にそのスタッフは「袋とかは持って来てますか?」と訊いたので、私はズボンのポケットに入れていた大きめの買物袋を出しつつ、「大丈夫です」と
答え、手早く、テーブルの皿の一つに山盛りとなっているカニを、全部袋に入れたのだった。
更に、お土産に手つかずのグラタン2個、ハンバーガー1個(ランナーが残して行った皿に置いてたが、食べた形跡が無い)を袋に入れた。
 (毎年そうだが、実をほじくり出したりして食べるのに手間のかかるカニは、手を付けるランナーが少ないようで、どのテーブルを見ても
  山盛りだった。
  カニに限らず、食べ切るのに時間がかかる料理は、パーティー終了時、ちょっとだけ食べ殆ど実が残っている残飯として食べ終わったランナー達が
  置いていく小皿に載せられている数が多い。
  そういう教訓からか、今大会の場合、前大会よりも、テーブルに置かれている料理の量が少ない印象で、カニ等の不人気(?)料理は特にだ。
  ランナーとしては一般的に、手っ取り早く食べられるハンバーガーや串カツ、サンドイッチ等を好むようで、残飯を除けば、パーティー終了時、
  チラ見した時の印象では、そういう人気料理の在庫は殆ど無かったと言っていい)








トイレで排尿した後、19時27分にパーティー会場を出た時には、既に先程までいた多数のランナーの殆どは帰った後だった。
後かたずけをする少数のスタッフ、すれ違う一、二台の車両、遠目に見えるマラソンバス等を待つ人を除き、周囲に人はおらず、閑散としている。
日の入の時刻も過ぎ、空も殆ど暗く、既に夜になる時間帯だった。
 (今回で三回目だからもう見慣れた光景だ)
携帯で家族に連絡し、今回のレースの結果報告と、明日、お土産を買って夕方に帰宅する旨を伝えた後、今夜の野宿先として、一昨年も去年も
お世話になったスーパーハウスに入った。
ここは扉があるので雨や風を防げるし、今回は去年と違い、シュラフを持って来ているので、寝る時に寒さに震える事もない。
 (驚くべきなのは、前日の午後19時頃にTシャツに貼ったままのカイロ(白元の「衣類に貼るカイロ ホッカイロ」)が、袋に書かれている「持続時間
  12時間」どころか、丸一日以上経った午後21時過ぎに至ってもなお、保温力をキープしている事である)
田舎のいいところは、夜から早朝の5時頃までは殆ど、スーパーハウスの目の前を通る通行人や自転車がない事だ。
前方の道路を通り過ぎる車両も少なく、音は気にならない。
他人の視線を気にする事もないので安心して野宿出来るし、睡眠中の盗難の心配もしなくて済んだ。
 (ただし財布はズボンのポケットに入れるようにしている)



パーティー中は5個あるハンバーガーの1.5個しか食べれなかったので、残りの3.5個は、LEDライトを使って読書をしつつ、70分余りかけて
まったりと食べた。
マラソンの疲労からか、食事中に段々睡魔が強まったので、食後程なく、シュラフに入って目を閉じた。
就床は22時前。
あっさりと熟睡するに至った。

100kmマラソン翌日の6/25(月)は、マラソンの疲労が強い割には、生活習慣から、午前4時過ぎには目が覚め、5時に起床した。
日の出後なので空は既に明るいが、曇り空で、雨が降った後なので路面は濡れている。
生活習慣から、起床直後に近くのトイレに向かった。
前日に食べた量が量なので、大量の便が出た。
田舎なのですぐにバスが来る訳でもなく、時刻近くまではスーパーハウス内で読書をしつつ過ごした。
 (毎年そうだが、レース翌朝は私以外にも、「さよならパーティー」目当てか、テント組以外にも、フィニッシュ会場内の建物の屋根下やトイレ内等で
  野宿するランナーがおり、今回も、バスが来る前に、100kmマラソンに出た30代の男性ランナーと会い、互いの完走を労った)
7時13分、常呂バスターミナル行きのバスに乗車したが、ForeAthlete405で測ったところ、バスターミナルまでの距離が僅か2kmも無いのでガッカリした。
 (これで330円なのだから、歩いた方がマシだと思った。
  土地勘が無いので今回はバスに頼ったが、場所も分かりやすいし、来年は北見バスターミナルに向かう場合、常呂バスターミナルまでは
  両足の痛みが余程強くない限り、歩く事だろう)



常呂バスターミナルでは、読書をしたり、テレビをつけて毎日観る『めざましテレビ』や『とくダネ!』を観つつ時間を過ごした。
5千人に満たない町のバスターミナルでは、他のバス待ちの人は少なく、閑散としている。
出入口の外の左横には、「貧乏旅行中。邪魔でしたらすぐに移動します」の貼り紙の付いたテントが一つ在る。
 (私も野宿前提の貧乏旅行を何度もして来たので、何となく温かい気持ちになった)


8時20分、8時24発・9時40分着の北見バスターミナル行きのバスに乗車。
初めは曇りだったが、途中から一転して晴天となり、「北見地方は暑いのに加え、天気が変わり易いな」と感じた。
バスに乗っていても、道東は広く、交通量は少ないと思った。
 (途中、ドラえもんの銅像を目撃した時は思わず笑ったが、一瞬で通り過ぎたので、撮影出来なかったのが残念である)


9時34分、北見バスターミナルに到着してバスを下車。
札幌行きのバス乗車券を購入し、近くのコンビニでバスの中で食べる朝食と昼食・ドリンクを買い、その後、「コミュニティプラザ パラボ」の前で10時の
開店を待ち、開店後は家族へのお土産に、1300円の「ペパーミントクッキー」と1000円の「ハッカの街からラブコール」(1000円。「ハッカ樹氷」と「ハッカ
物語」の詰め合わせセット)を購入した。
 (両肘・両太股・両脹脛・腰・両足等の筋肉痛が強く、歩行もしずらいので、階段の上り下りも手すりに掴まらないと転倒の危険が有った)
 (家族からはサロマ湖産の牡蠣、または牡蠣の燻製を頼まれていたが、無かったので、サロマ又は北見に因んだ銘菓を選んだ)


10時20分過ぎ、札幌行きのバスに乗車。
 (運の悪い事に今回も窓側でない席で、そのせいで車窓の外の撮影には酷く不自由させられた)
10時23分、10時20分発・14時55着の札幌行きバスが発車した。
退屈なので、読書をしつつ、10時26分から13時50分頃まで、ゆっくりと食事した。
 (「三栄製菓 串団子 ごま」、「ヤマザキ バナナスペシャル バナナクリーム&ミルク風味クリーム」、「三栄製菓 串団子 こしあん」、
  「セイコーマート メロングレープ 500ml」)
正午12時10分、バスは「層雲峡リクマン観光センター」前に着いて、12時22分の発車までの小休憩タイム中、観光センターのトイレで排尿。


田園風景が続き、退屈で眠気がする中、テレビを見るといつも観る『ミヤネ屋』が映っていた。
「もうそろそろ、完走から丸一日になるな。今思うと、よく9時間半も走り続けたものだ」等と前日の100kmマラソンの感慨に耽りながら、
バスは札幌に入った。
100kmマラソン完走から丸一日が経った後の14時42分頃、ForeAthlete405を見ると、朝の7時13発の常呂バスターミナル行きバスに
乗ってからのバスの移動時間が5時間に達し、走行距離も333.3kmになっていた。




14時58分、札幌駅前バスターミナルに着き、バスを下車。
その後、地下鉄、バスを乗り継ぎ、15時42分に自宅前に着き、自宅の畑の野菜の成長具合を確認してから帰宅した。
 (ソックスを脱いだ時、右足薬指の肉刺に気付いたので、爪楊枝で肉刺を刺して中の水を抜いた)

その日の夜食は、アメリカンビーフのサーロインステーキ1.5人前、サラダ、ご飯7皿、350mlの缶ビール3缶、水1.3杯、炭酸飲料0.3杯等を
ドカ食い。
100kmマラソンで初サブ10を達成し、去年より2時間半以上、一昨年より30分以上早いタイムでのフィニッシュの後なので、いつも以上に
美味に感じた。
食後、歯を磨いて直ぐに床に就いた。
前日の100kmマラソンの疲労とアルコール等の影響で簡単に熟睡出来た。


100kmマラソンの二日後である6/26(火)朝の起床時も、両肘・両太股・両脹脛・両足に軽くは無い筋肉痛が有り、だる気も有り、気力も低かった。
右足のかかとも痛む。
とても走りたい気分ではなかったが、用事も有るし、筋肉痛も前日よりは多少はマシなので、LSDなら2時間程度は走れると判断し、この日は
26.02kmを走った。
 (ドカ食いの翌日という事も有って走った。
  ただし、回復が遅くならないよう、km/6:50〜7:00のスローペースを心掛け、転倒しないよう、常に足元に注意して走った)
途中、会員であるスポーツ用品店に寄ってランニングボトルを2品購入し、ボストンベイクに寄って好物のムースチョコとムースホワイトを1個ずつ購入、
自宅から1km余のホームセンターに寄ってLEDシーリングライトの購入した後は、歩いて帰宅した。
 (ランニング中は、右膝が故障の一歩手前と思うぐらいピリピリし、左足の中足筋の痛みが中程度に強まる等、100kmマラソンでの
  ダメージを改めて実感した)
帰宅後、シャワー、着替え、マッサージ、体操、ストレッチ、アイシング、ビヒダス150gの摂取とランニング日誌の記入、25分仮眠で落ち着いてから、
ランニング中に買ったムースチョコとムースホワイトを初サブ10を達成した自分への御褒美として美味しく食べた。
 (前年の11月から今年の2月まで、ほぼ毎日この2品を食べ過ぎた為、普段からランニングしつつも体重が約10kgも増えたという経緯が有るので、
  その後は「55日間連続2時間(以上)走」等でBMIを18台まで戻す一方で、この2品は月に一回の「菓子・菓子パンのドカ食いデー」でしか
  食べない事にしていた)


100kmマラソン翌日から丸1週間は「回復週」とし、JOGペースの2時間走、2時間LSD以外のポイント練習は全くしない事にした。
この間、祖父母の命日による供え物が有ったりして夜食での大食いの日が2日続いた為、結果的には、6/28(木)から6/30(土)まで三日間連続で
LSDをするに至った。
 (LSDなので左膝の腱の痛みを除き、気力・体力は回復し、6/30(土)起床後には、「早くインターバル走・レースペース走を再開したい」と思う程、
  気力はすっかり100kmマラソン前のような高さに戻り、体力も殆ど戻った感じがした。
  筋肉痛・だる気はほぼ消え、脚の軽さも戻った)
 (6/28(木)〜6/30(土)は、事前に最高気温が30度近くになるとネットの天気予報で知っていたので、翌月からの暑い中でのポイント練習も踏まえ、
  「熱馴化」の為にも走った。
  また、月末の6/30(土)は、この日に走れば、6月は月間走行距離が500kmを超える為、左膝の腱の痛みも強くは無いので、それが酷くは
  ならないスローペースでのLSDとして走った)
この三日間は夏日だけ有って、暑さで給水してもすぐに喉が渇き、後半はLSDでもキツいランニングとなった。
回復週ではあるが、この三日間のランニングのおかげで、100kmマラソンを含め、6/24(日)〜6/30(土)の週間走行距離は187.31kmに達した。
今回の「サロマ湖100kmウルトラマラソン」で初サブ10を達成した今、来年の同大会での目標は、今回の9時間36分台の記録を更新する事だろう。
また、今回の初サブ10達成に因り、初サブ3達成に挑戦する本命レースに選んだ、10/7(日)の「第34回別海町パイロットマラソン」に向けた
トレーニングに集中する事が出来る。
今回の100kmマラソンで初サブ10を達成出来たのは、それを意識したポイント練習の積み重ね、丸一週間を費やした調整の内容、カーボ・ローディングの
内容、レース前日の前夜祭での節制、レース当日の天候、レース戦略、レース中、終始切らさなかった初サブ10達成への強い思いを総合し、
当然の事であった。
是非、同様の事をしたうえで、10月の本命レースで初サブ3を達成し、再び、サロマ100kmフィニッシュ時〜直後のような最高の喜び、感動を
味わいたいものだ。
一介の市民ランナーと言えど、私のマラソンに終わりは無い。
次の戦いは既に始まっているのだ……。






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2012/6/24のマラソンの記録(ForeAthlete405より)


初サブ10に挑んだ三回目の100kmマラソン。
過去二回の失敗の教訓から、ポイント練習を積み重ね、調整にも丸一週間かけたうえ、前夜祭等で食べ過ぎないようにし、
レース中もkm/5:30〜5:40のイーブンペースを常に意識し、確実に貯金(タイム)を増やし、後半も疲労の蓄積の中、「絶対に初サブ10を
達成する」と念じ続け、気持ちが折れないようにし、最後まで歩く事はなかった。
ForeAthlete405のバッテリーが切れる前の80km地点で15分以上の貯金があり、この後km/6:10台に失速しても初サブ10を
達成すると確信。
 (ForeAthlete405のバッテリー切れ後は、腕に見に付けていたもう一つのランニングウォッチ(SEIKOの「プロスペックス SUPER
  RUNNERS」)でラップを取ったが、完走までタイムは見ず、体感で大体のペースを掴みつつ走り続けた。
  上の図はメモ帳に記したラップをキャプチャした物)
気力が強まり失速どころか90km地点以降は逆にペースアップし、残り2kmを切ってからは疲労のピークの中でラストスパートで
km/5:10台までペースアップし、三度目の正直を成し遂げた。
マラソンの二大目標の一つを漸く果たしたのだった



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2012/6/26のランニングの記録(ForeAthlete405より)

100kmマラソンの二日後は筋肉痛のピークで心肺の疲労もまだ強いので、LSDがやっとだった。
だるさも強く走りたい気分ではなかったが、買物の用事もあったので、ゆっくり、楽なペースで走る事にした。
普通は本命レースの二日後は完全休養か30〜40分、5〜6km程度のスローJOGにすべきところだが、前夜にドカ食いしてる為、
習慣で2時間(以上)走を行ったのだった。
ただし100kmマラソンの疲労回復の為、決して速いペースでは走らなかった



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2012/6/23、札幌駅前バスターミナル〜湧別総合体育館(「サロマ湖100kmウルトラマラソン」100kmスタート会場」)近くまでの
バス移動の記録(ForeAthlete405より)


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2012/6/25、北見市常呂町スポーツセンター前(「サロマ湖100kmウルトラマラソン」50km・100kmフィニッシュ会場」前)〜
自宅近くまでのバス移動の記録(ForeAthlete405より)


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